夏に初めて訪れてから、今は私たちの生活の一部となってそこにある。
少しずつ増える人びとや、巡りゆく季節とともに。
この場所へ出来うる限り足を運ぶのは 自分も「この風景の一部になりたい」と願うから。
関わる人たちと そこに集う人たちが、その場の空気をつくる。それぞれのもう一つの居場所。
アーバン(都市部)とカントリー(農村部)の両方の魅力を伝えるここは、緑の下で人と出逢い 言葉や笑顔を交わし 大切な何かを感じ取るところ。
これからは既存の流通システムに頼らない「顔の見える関係」が何より重要になってくるのだと思う。モノや土地の向こうに、携わる人たちの営みや生活が見えるということ。お互いに支え合い 心でつながる関係を築くために。
生きてゆくための「ライフライン」は、本当は水道や電気などのことではなくて
人と自然、人と人とのつながりを指すのかもしれない。
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日に日に秋の深まる休日。
マーケットでつながった淡路島の「森果樹園」さんに 温州みかんの収穫のお手伝いへ。
パチン、パチンと剪定ばさみで枝からミカンを狩り取ってゆく。
「みかんの、いいにおい!」
口々に子供たちが言う。
フレッシュでグリーンな、ほろ苦く匂い立つプチグレンの香り。
それが柑橘系の枝葉から採れる精油の名前だということを、その主要な成分や効能を、例えば私は知っている。
ただそれは専門的には必要な知識だとしても、本質的にはあまり重要なことではなくて
きっと何より大切なのは、生きているミカンの枝を切り取る際に手についた樹液のべとつく感覚や、もいで直ぐ口にした甘酸っぱい味わいや、ふわりと漂い残った「記憶の中の香り」。
いつかこの子たちが大きくなった時に
自分たちがもっと歳を重ねた時に
今日の日の出来事を、香りとともに懐かしく思い出すことがあればいいなと思う。
収穫も、選別も、すべて手作業。
お手伝いで参加した皆んなで、一緒に。
「うちは、観光農園ではないですから」
控えめに話す森さんの傍らには、90歳を少し超えるお爺さまと、地元の農家の方。
山の中腹にひっそりある小屋を覗く。
収穫した果物を保管する場所。
薄闇のなか、たくさんの棚を見上げる。
着物をしまう立派な桐の箪笥みたい。
少し眠って、じっくり ゆっくり 美味しくなぁれ。
作業を終えひと息ついて、他の木々たちを眺める。
「この実は何ですか?もしかして…」
「いい質問ですね。鳴門オレンジです」
やっぱり!
育てる農家さんは淡路島に数えるほどしかいないということを、どれだけの人が知っているのだろう。
この幻の果物が熟す季節に再訪することを愉しみに、いまはまだ若い香りを そっと記憶に刻み込む。
この幻の果物が熟す季節に再訪することを愉しみに、いまはまだ若い香りを そっと記憶に刻み込む。
「原型に触れる」体験は「自然なカタチを知る」ということ。それはとても豊かな、生きている喜びを実感できる時間。
「ほんとうの意味での豊かな暮らし」は
生を産み出す人と、生を活かす人が、より深く関わることによって実現されてゆくものなのかもしれない。
だとしたら その「関わり」を創り出す人に私はなりたい。双方を往き来することにより お互いの可能性を引き出せる人になりたいと、心から思う。
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