2017年3月29日水曜日

Spring has come 春探しのマーケット


なんだか今年の冬は長い気がする。
いつまでも肌寒いし、風が冷たい。
ぽかぽか陽気の春が…待ち遠しい。


冬気分をはやく抜け出したくて
ファーマーズマーケット
この日はウィンターシーズン最終日。


外で飲んだり、食べたりすると
気分が晴れやかになるのはどうしてだろう。

「あなたは、小さい頃から”おそとごはん”が好きだったわね。
運動会とか、遠足とか。」
以前母親にそう言われ、そうだったっけと人ごとのように話していた。


せっかくの”おそとごはん”の後に、
ゴミが残るのはすごく残念。

なので ちょっと荷物になったとしても
マイボトルやマイカップを持つのは気分がいい。

軽量で割れにくく、中身が見えるもの。
保温が効く、洗いやすいステンレス製のもの。

「お願いします」
ひと言添えて差し出すと
笑顔と共に美味しいものが入って返ってくる。


のびのびした茎がくるり。
素朴で可愛い菜の花リースが、春を告げている。
そうか、枝ものでなくてもできるのだなぁ。


しゃがみ込み、足元のお花の苗にじっと見入っていると
「ほんとうに、お好きですよね」
ニコニコ笑顔でそう言われ、ちょっと恥ずかしくなる。


たまごは、いつも「さくら」と「もみじ」を3こずつ。
いい感じでくったりとしてきた紙パックに入れてもらう。
ころころと転がっていきそうだから、そうっと。


前回のレッスンでお世話になったツギキさん。
デザイナーの森さんらしい シンプルで美しい新パッケージは
本物の「なるとオレンジ」の茎がポイントになっている。
自然の素材をつかった丁寧な手仕事は、かなり私好み。


かごいっぱいに詰め込まれた春。

 「それ、素敵ですね〜」

色々な方に声を掛けていただくけれど
私は、一つひとつの想いを入れていっただけ。

“食べられるお花”のヴィオラは
押し花にして愉しもう。
梅の枝はリビングに飾り
ころんとしたつぼみが香りとともに
ゆっくり開くのを待っていよう。

重い冬を抜けて それぞれの春が
もうすぐ、始まる。



2017年2月21日火曜日

春を告げる香り 思いをつなぐ果実


2月も半ばを過ぎて、暦の上ではもう春なのだけど
そう感じることは難しい。

雪がはらはら舞う日もあるし
北風が身に沁みて、くじけそうになる日もある。

少しでも春を感じたくて
ぽつぽつと小雨の降る週末
海を渡り、淡路島のツギキ×森果樹園さんへ。



昨年ここに伺ったのは晩秋だった。
温州みかんの収穫はとても楽しくて、家族の思い出ができた場所。
蝉の抜け殻がたくさんあって、バケツいっぱいにみかんを採った。



長屋門の隅っこで、ひっそり咲いている梅の花に見惚れる。
もうこんなに開いているなんて。

「はじめまして」
里帰りから戻られた奥さまの晶子さんと、3ヶ月の赤ちゃんにご挨拶。

くりくりの眼にちいさな手。
この日はちょうど生後100日だそう。
鳴門みかんの今年初収穫の日と重なり、ほんとうにおめでたい日。



朝いちばんで伺ったけど、収穫はもう始まっていて
お手伝いの方々に混じり作業開始。
秋にはまだ蒼かった果実が、綺麗なオレンジに色付いている。


「これ、どうぞ」
森さんから手渡されたのは、持ち手の長い剪定ばさみ。

枝を挟みぎゅっと握ると ぱちんっと切れて
そのままそうっと地面に降ろす。
楽しい。

繁る葉の中、遠くまで目を凝らして
今が採り頃の鳴門みかんを探す。

「最初はいいんやけどな、後で首が いと〜う(痛く)なってくるんや」

ベテラン農家さんの言葉に、なるほどと頷く。


切り取った枝から立ちのぼる、この香り。
なんてジューシーなんだろう。

「うわ〜春だ!春がきた!」

あちらこちらで歓声があがる。




かごいっぱいに収穫された鳴門みかんを
濡らしたタオルで一つひとつ磨く。
大変そうに思える作業も、皆で一斉に行えばあっという間。



作業を終えてひと息ついたら
採れたて、絞り立てフレッシュジュウースで乾杯。
甘くやさしい酸味が、口いっぱいにひろがってゆく。


幻と言われるまでに収穫量が減っている
その味と香りをじっくり味わいながら談笑する。
それぞれの夢と、淡路島の「これから」を考えて実践する
愉しく面白そうな方たちと。


時代を超え受け継がれる鳴門みかんと共に
たくさんの思いがつながり、春が来る。

次の日にお祖父さまのお誕生日をひかえた果樹園には
森も人も一緒になって
素敵な笑顔の花が、いっぱい咲いていた。



お手伝いのごほうびを
持ち帰り気が付けば
いつの間にか 分類されている

春の香り、いただきます



2017年2月13日月曜日

営みの生まれる場所 Satoyama landscape

すっきりと晴れた空
冬真っ盛りの日曜日。

北区にある、あいな里山公園へ
落ち葉拾いのお手伝いに。



木々たちの隙間から
眩しい朝の光が差し込む。

軽くてぴかぴかの熊手を借り
おおきな袋を受け取って
持参した軍手で落ち葉掻き。

うっすら残る雪
ざっざっという音

枯れた葉っぱと湿った土の香りがひろがる。


スマホの電波が届かない
テレビもラジオもない場所で
澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。



こんなことを言うと変に思われるかもしれないけど
時々、自分は植物なんじゃないかと思うときがある。

動物よりも植物に近い感覚があって
木々たちや、ひっそりと咲いている野草たちに
すごく親近感を覚えたりする。



フキノトウやつくし、山菜なんかが普通に身の回りにあるような
石垣の隙間からスミレの覗くような田舎で育ったせいかもしれない。
実際は人間なのだから光合成もできないし
おとなしく ずっと同じ場所にいることもできないのだけど…。



「結構、きれいになったね!」

作業を終えて足元を見ると、緑色の苔や草や新芽。
落ち葉の毛布であたためられて、外からは見えない部分で
こんな風に新しい命が生まれているのだと気が付く瞬間。


皆で集めた落ち葉は、地元の農家さんが堆肥として活用するのだそう。
軽トラックにどっさりと積まれた、植物からの贈りもの。


生きることは
つながり合うこと

互いに無理の無いカタチで
緩やかに循環することは

さまざまな生き物に
たくさんの豊かさをもたらすのだと思う



「伝庫の家」に移動して
里山作業を体験する。

ナタを振るうことも
かまどでご飯を炊くことも
都市生活では出来ない経験。

最初は恐るおそる、でも
慣れて来ると面白い。



作業後、ここで収穫されたお米でお粥をつくり
切り干し大根、切り干しかぶ、蒸かしたジャガイモをいただく。
どれもとても美味しくて、やさしくきれいな味がする。


お椀の後片付けをしていると
話し声が聞こえてくる

「この割り箸、どうします?」
「あぁ、そこで燃やすからいいよ」

捨てる、という言葉がなくなると
なんて気分がよいのだろう

焚き木の中で燃やされた割り箸はきっと
訪れる人たちをやさしくあたためてくれる

循環も、思い描く未来も、与えられるものではなく
自分たちで創り出すもの

人がつながり、思いがつながり、新しいカタチが生まれる


茅葺き屋根も、おくどさんも
「日本昔話」や「民話」を知らない今の子供たちの目には
珍しく真新しいものとして映っているのかもしれない

資料館ではなく、植物園でもなく
つくったり育てたり、収穫したり
実際に作業して体験することができる場所

なんか、面白そう
ちょっと、行ってみたい
それがきっと 入り口になり
そこからきっと 流れが生まれる

手入れをする人たちがいて
さまざまな生き物たちの多様性が保たれながら
皆が集い、つながり、営みが生まれる


始まったばかりの物語
いまから、ここから


国営明石海峡公園神戸地区
あいな里山公園
〒651-1104
神戸市北区山田町藍那字田代

2017年1月19日木曜日

この街のおとな 光のなかの風景


仕事や園の送迎や
諸々を早めに切り上げて
夕方の少しの時間だけ
ちょっとだけ手伝おう

そう思って出掛けて
気が付いたら
薄暗くなるまでそこにいた


竹筒を支えるために土の入ったボトルを並べることも
キャンドルを浮かべるために水を入れることも
その竹やつどいの場を有志の方が用意しているのだということも
初めて知った前日の夕暮れ

「せっかくだから、つくって帰ったら」
係の方から声を掛けられて
指さす方へ目をやると
大山からはるばる運ばれてきた雪

子供と地元の高校生や関係者と一緒になって
真剣に雪地蔵をつくる
それぞれの頭の上には
公園に咲く椿の花

翌日
街まで出掛ける用事があって
昨日の雪地蔵も気になって
東遊園地に立ち寄った

1月17日の夜

私は「その街のこども」ではなかったし
実際に震災を経験してはいないから
こんな風に
感じた事を伝える事しか
出来ないけれど



「これ、やってみるか」

火の見回りをしている人に声を掛けられて
真っ黒になった素手から新しいキャンドルを受け取る

蝋燭を手にもって最初は恐る恐る…でも、
上手くつけることが出来て喜ぶ私たちを見て
その人は満足そうに笑った

冷え込む外の空気
静か過ぎて
呑み込まれそうな暗闇


炊き出し準備中の婦人会のテントから
明るく手を振ってくれた事務局の人も

「お地蔵さん、すごく可愛くできたね」
と写真を撮ってくれた女の人も

「こんなん、やり方知っとるか」
募金をする際にコマをくれたおじいさんも

優しく声を掛けてくれた人たちすべて
ニュースに流れることはない
その前の、その中の、その後の
この街のおとな

希望の灯りに照らされ少しずつ溶ける雪が
まだ見ぬ春を告げるようで
たまらなくなる



夜が明けて、翌朝の光の中に
自らの手足を使い
つどいの広場を片付ける人たちがいた
きっとこれが
ほんとうのローカル


竹灯籠の中の水
キャンドル
ペットボトルの砂を出す
皆で一斉に
ものすごいスピードで


白い軍手を真っ黒にして
溶けたロウのかけらを拾う
箸で拾っている人もいる
無言で
周りの人たちと同じように
出来ることをする


最後に、雪の片付けをしていると
「慣れたもんやなぁ」
声を掛けられて一緒に笑う
「ありがとうございます」
雪国育ちですから、と心のなかで付け加える



この街に来て随分と経ったのに
未だ知らないことがたくさんあって
新しく出逢うひともたくさんいて
向き合う出来事も風景もたくさんある


生活は続いてゆく
そのほんの一瞬だとしても

この大切な場所に
美しい芝生が戻ってくることを 願いながら
希望と絆と笑顔が宿ることを 祈りながら



2017年1月13日金曜日

往き来するひと 何処までがローカル

鈍色の空
たわわに実る赤
時折降るみぞれ混じりの雪
北陸の冬風景


いつも年末年始を過ごすこの場所で
富山のにおいがする と
子供たちが言う


それはどんな匂いだろう?
変わらずそこにある神社の階段を上りながら
苔むした石垣の小径を歩きながら思う


それは
雪が降る前の冷たい空気の匂いかもしれないし
まだ土の中で眠るフキノトウの香りかもしれない


いったい
何処までがローカル
何処までが地元?


私にとってのそれは例えば
今居る神戸でもあり
故郷の富山でもある。
どちらも同じように、自分の大切な場所だから。

もしかしたら
何度となく足を運んでいる淡路島や、福井県の三方五湖周辺もそうかもしれない。

もっと言えば
かつての留学先のユタ州の学生街や、一人で旅したバンクーバーの港町、家族とレンタカーで周ったオークランドの郊外も。



そこには年に数回でも、随分と間があいてしまっていても
逢いに行きたい人たちがいて、見馴れた懐かしい風景が広がっている。

地元とは「心の距離」のことを指すのだと思う。
それぞれの愛着や、思い出や、心の風景が或る場所。

それはきっと
何処にあっても いくつあっても いい


タイムトラベルの瞬間
緑があれば
そこに
香りがある

あなたにとってのローカルは
何処にありますか




2017年1月10日火曜日

明けましておめでとうございます

新しい年が始まる
いつもはリースで済ます年末年始も
今年は手作りのしめ縄で

多少不格好でも
懐かしい藁のにおい
恵みのかおり


この場をかりて
新年の抱負を

今年は
いただいたご縁を大切に
小さくても
少しずつでも
自分らしく

香りと
人と
自然と共に

前に進もうと思います


本年もどうぞよろしくお願いいたします